#239 第1回 『検索窓には入らない、私たちの「野暮」な誇りについて』

Feb 15, 2026By habitus
habitus

デジタルが苦手な中小企業のための
「負けない」Web戦略論
ー少し哲学的に考えてみたAIのお話ー

第1回 『検索窓には入らない、私たちの「野暮」な誇りについて』

仕事柄、多くの経営者に会います。
それも、いわゆる「やり手」のベンチャー社長とかではなく、どちらかと言うと、難しい顔で、少し眉間に皺を寄せ、世の中のスピードに違和感を抱いていたり、世の中の風潮にいくらか不満をもっているような人たちが周りには多いのです。
別に選んでそうなっているわけではなく、中小企業の社長さんたちはそういうものだと思っている。
実際そうでしょ。それがフツー。なにもつるっとした顔の若い溌剌とした人ばっかりではない。

たとえば、世界的なニッチ技術を持ちながら、あくまで「町工場」として振る舞う製造業の社長。
あるいは、設計図を描く前の「暮らしの哲学」の対話に半年を費やす、こだわりの建築家。 
海外の優れた文化を日本に紹介することに必死なんだけど、端から見れば単なる「輸入雑貨屋」に見えてしまう専門商社の社主。
彼らは一様に、高い教養とインテリジェンスがあり、そして驚くほど「商売」が下手です。 いや、そんなこと言っちゃ失礼、下手なのではなく「野暮」なことができないのだと言ったほうが正しいかもしれないですね。
この「野暮」って感じわかります?彼らにとっては世間が野暮なのです。
だからいつも彼らは眉間にしわを寄せている。

彼らに向かって、Webマーケティングの定石通りにこう尋ねるとします。
(まったく失礼な話だと思いつつ)
 「で、御社を一言で言うと、何屋さんなんですか?」
すると、彼らは決まって口ごもる。あたりまえです。
まるで、急に知らない外国語で話しかけられたかのように、視線を彷徨わせ、遠くを見つめるような感じで、黙ってしまう。「またか…」ってな感じ。

 「まあ、加工業…なんですが、ただ図面通りに削っているわけでもなくてさ…」 
 「輸入販売、という肩書きは使っていますが、実際はもっとね…」
 
その歯切れの悪さを見て、多くのマーケッターやWeb制作者は心の中で舌打ちをするのでしょう。
「ポジショニングが明確じゃない」「言語化能力が低い」「だから儲からないんだ」と。

しかし、私はこんな風に口ごもってしまう彼らにある種の「誠実さ」みたいなものを感じるのです。

 彼らが即答できないのは、何も考えていないからではないのです。
 その逆。
 自分の仕事があまりにも多義的で、顧客との関係があまりにも濃密であるがゆえに、
 「製造業」や「小売店」といった既存のカテゴリ(言葉)に押し込めた瞬間、
 大切な何かがこぼれ落ちてしまうことをわかっているからだと思うのです。
 
言葉にすればするほど、嘘っぽくなっていく感覚。(歌謡曲の歌詞みたいな言い方ですけど…)
なんだか恥ずかしい…そういうことじゃあないんだよ…伝えたいことは…
含羞(がんしゅう)」という言葉があります。なんだかそんな感じ。

ここ20年ほどの間、インターネットの世界、とりわけSEO(検索エンジン最適化)というシステムは、私たちに「わかりやすさ」を強要してきたような気がします。
とにかく、わかりやすく、説明的に…。そうなると必然的に誰が聞いてもわかる単語やトレンドの言葉に押し込めることになるわけです。
そして、その言葉の内実はあまり詳しく問われることなく、「ああ、○○ですか」とかるーく勝手に納得されてしまうわけです。

 Googleという巨大な図書館は、整理整頓のために「背表紙」を求めたといっていいでしょう。
 「板金屋」なら板金屋の棚へ。「工務店」なら工務店の棚へ。
 そこからはみ出すものは、検索結果という表舞台から排除されます。
 
だから皆、必死になって自分を単純化したのではないか。
「地域No.1の〇〇」「最短で結果が出る××」。 
画面の向こうには、いけしゃーしゃーといとも簡単に、自分を定義し、誇張し、笑顔を見せる「わかりやすい人たち」が溢れているのです。むかつくなぁ…と心の隅で思ったりする。

その喧騒の中で、前述したような「真っ当なフツーの経営者」たちは、
静かに傷ついているように私は思うのです。

 自分の仕事を単純な言葉で切り売りしたくないという職業的良心(プライド)が、Webという土俵では「ノイズ」として扱われてしまうのです。
 

「真っ当なフツーの経営者」たちは、 静かに傷ついている
「真っ当なフツーの経営者」たちは、 静かに傷ついている


実は、えらっそーに書いている私自身も、そのひとりです。
私は「Web制作会社の代表」という名刺を持っています。
そういう風に名乗らなければ、銀行も、税務署も、そして顧客さえも私を認識できないからです。
けれど、その肩書きを口にするたび、喉の奥に小骨が刺さったような違和感を覚えるわけです。(さらにWebじゃあなくて「ホームページ」制作会社と言われるとさらにちょっとだけ落ち込んだりします。同業者の方、そんなことないですか?…ないかな?)

私の仕事の9割は、コードを書くことではありません。
顧客である経営者の、誰にも言えないような孤独な悩みを聞き、整理し、時に一緒に頭を抱え、その七面倒くさい「カオス」の中からなんらかの論理を見つけ出すことを仕事にしていると思っています。
 
しかし、その泥臭いプロセスには「見積もり」が出せない。
お金になるのは、最後にアウトプットされた「ホームページ」というシロモノだけです。
精神科医のような対話を重ねても、請求書には「Web制作費」としか書けない。このやるせなさ。しょぼーん…って感じです。
「そういうもんよ」という熟練の経営者の方もいらっしゃるだろうし、「バカだなぁ…そりゃ下手なことやってるね」というビジネスエリートの方も、お金に代わらないことは仕事じゃあないでしょという若い優秀な人もいるかもしれませんね。ごもっとも。
  
しかし、「何者か」になろうとすればするほど、本当の自分から遠ざかっていく。 
そういう感覚は、私だけのものではなく、誰でもどこかでもちうることではないでしょうか?
組織の中で「Web担当」を任され、本業の傍らで成果を求められている会社員の方々も、似たようなジレンマを抱えているかもしれないですよね。
「定義」の檻(おり)に閉じ込められた、私たち。 
この連載は、そんな「一言で言えない」人たちのために(ある意味面倒くさい人たちのために)書きたいと思います。

わかりやすい言葉で自分を飾る必要はないと思うのです。
 その「言いにくさ」や「歯切れの悪さ」の正体を見つめること。
それはなんであるか?」と。
そして、安易なポジティブ思考に逃げず、否定の言葉(〜ではない)を積み重ねた先に残る「何か」を信じること
AIという新しい技術が台頭してきた今、その「説明できない余剰」こそが、
逆説的だけれど、最強の武器になろうとしていると思ったりしているわけです。
あ、決して無防備なデジタル賛美ではないです。
なぜそんなことが言えるのか。 久々の連載です。
次回から、少しだけ理屈っぽい話をしようと思っています。
 
(第1回 了)