#229 LLMOは「マーケティング」ではない。それは企業の「実存」を定義する行為だ
LLMOは「マーケティング」ではない。それは企業の「実存」を定義する行為だ
〜AI検索の到来が問い直す、Webサイトにおける「論理」と「表現」の分離〜
2024年から2025年にかけて、GoogleのSGE(生成AIによる検索体験)やSearchGPTといった「AI検索」の潮流が決定的となり、Webの世界は過去20年で最大と言っても過言ではない転換点を迎えている。
多くの企業経営者やマーケティング担当者は、まだ静観の構えを見せているが、水面下では一部のテックベンチャーやSEO(検索エンジン最適化)コンサルティング会社による、新たな提案が始まっているようだ。 その提案の多くは、これまでの成功体験に基づき、こう結論づけている。 「AIに参照されるために、これまで以上に網羅的な記事コンテンツを量産しましょう」と。
しかし、私はこの風潮に対し、デジタル市場を観測する批評的な立場から、警鐘を鳴らさざるを得ない。 なぜなら、そこには「デジタルマーケティング」というビジネスモデルが抱える構造的な限界と、Webサイトが本来持っていた役割の「履き違え」が存在するからだ。
本稿では、AI時代における企業の振る舞いについて、マーケティングとコンテンツの役割分担という観点から論じてみたい。
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1. 【構造的問題】
なぜ、テック企業は「記事量産」しか提案できないのか?
なぜ、AI対策(LLMO:Large Language Model Optimization、あるいは昨今話題のGEO)の文脈においても、依然として「記事を量産しましょう」という提案がなされるのか。
これまでのSEOやデジタルマーケティングにおいて、テックベンチャーたちは「確率」を上げる戦いをしてきた。検索アルゴリズムというブラックボックスに対し、コンテンツの「量」と「質(網羅性)」を投下し続けることで、上位表示の確率を高める。これは正当なマーケティング活動であり、彼らはその領域において間違いなくプロフェッショナルである。
しかし、彼らのビジネスモデル(収益構造)には一つの特徴がある。それは、クライアントとの契約を維持するために「継続的な運用(フロー)」が必要だという点だ。 「毎月記事を納品する」「毎月順位を計測し調整する」。このサブスクリプションモデルを維持するためには、AI対策もまた「毎月作業が発生するもの」でなければならないという、事業者側の無意識のバイアスが働く。
一方で、LLMOの本質は何か。 それはAIに対して「我々は何者であるか」という、企業のアイデンティティや事実関係を記述することだ。これは確率論的な「集客」ではなく、決定論的な「定義(Definition)」に近い。 本来、企業の「定義」はコロコロと変わるものではない。一度、強固な構造化データやエンティティとして記述すれば、それは「家」の基礎のように機能し続けるものだ。
ここにミスマッチの萌芽がある。「基礎工事(定義)」を求めている企業に対し、ビジネスモデルの都合上、「建増し(記事量産)」を提案せざるを得ない構造。 経営者はまず、この市場力学を理解しておく必要がある。
2. 【失われたコンテンツ】
SEOによって消えた「企業の個性」と、説明過多の悲劇
次に、より本質的な「コンテンツの中身」についての問題を提起したい。ここが最も複雑であり、かつ重要なポイントだ。
過去10年以上にわたり、SEOはWebサイトの文章を劇的に変質させた。 検索エンジンのロボット(クローラー)に内容を正しく理解させるため、Web上の文章は極めて「説明的」になった。キーワードを不自然に盛り込み、論理構成を画一化し、誰が書いても同じような、いわゆる「SEOライティング」が標準化したのだ。
その結果、何が起きたか。 Webサイトから、企業独自の「匂い」や、経営者の「熱」、あるいは書き手の「文体」といった、人間的な「表現」が失われたのである。 かつて経営者が熱っぽく語った創業の想いは、「ポエムのようで検索意図に合わない」と切り捨てられ、味気ない説明文へと書き換えられてきた。
今、SEO会社が提案するLLMOのアプローチは、この延長線上にある可能性が高い。つまり、「AIに理解させるために、さらに詳しく、さらに説明的な文章を書きましょう」という方向性だ。 確かに、それをやればAIは情報を拾うだろう。しかし、その先に待っているのは、人間が見たときに何の感銘も受けない、無味乾燥なテキストの山である。
3. 【解決策】
「裏側」で論理を語り、「表側」で詩を語る
私はここで、逆説的な提案をしたい。 「LLMOがあるからこそ、Webサイトは『説明』をやめて『表現』に戻れるのだ」と。
LLMOの技術的本質は、Webサイトの「裏側(ソースコードや構造化データ)」で、AIに対して厳密な論理を伝えることにある。 「A社の商品はBであり、Cという特徴を持つ」 「我々の哲学はDであり、Eという歴史に基づいている」 こうした論理(ロジック)は、裏側のスキーママークアップ等でAIに直接手渡せばいい。
裏側で論理が担保されているならば、人間が目にする「表側」のテキストはどうなるか? そう、もう無理に説明的である必要はないのだ。 キーワード出現率を気にした退屈な文章ではなく、経営者の魂がこもった言葉、あるいは詩的なキャッチコピー、心揺さぶるエッセイ。かつて「非合理的」と排除された「自由な表現」を、再びWebサイトの主役に据えることができる。
AIには厳密な論理を。人間には豊かな表現を。 この「分離」と「共存」こそが、これからのWebサイトがあるべき姿ではないだろうか。 逆に言えば、この構造を理解せずに、表側の文章をひたすら説明的にし続けることは、人間にとってもAIにとっても、不幸な結果しか生まない。
4. 【提言】
マーケターには「拡散」を。編集者には「定義」を。
以上のことから、私は企業のAI対策において、明確な役割分担が必要だと考える。
もし、貴社が「とにかくアクセス数を稼ぎたい」「商品をバズらせたい」と願うなら、迷わず優秀なデジタルマーケティング会社やテックベンチャーに依頼すべきだ。彼らは「拡散」のプロであり、その技術は依然として強力である。
しかし、もし貴社がAIに対して、「自社のブランドや哲学(Philosophy)を、誤解なく正しく定義したい」と願うなら、相談すべき相手は少し異なるかもしれない。 必要なのは、マーケティングのテクニックではなく、「編集」と「設計」の能力だ。 貴社のことを深く理解し、その思想を言語化し続けてきたWeb制作会社や、言葉を大切にするコンテンツ・ストラテジスト。彼らこそが、AI時代の「定義」を担う適任者である。
もちろん、彼らがAIのための技術言語(構造化データ等)を理解している必要はあるが、本質はそこにあるのではない。「何を定義すべきか」を知っているのは、外部のマーケターではなく、貴社の傍らにいる表現者たちなのだ。
結論:Webのルネサンス(復興)へ
LLMOは、単なるSEOのアップデートではない。それは、検索エンジンのために歪められてしまったWebサイトが、本来の「人間的な表現」を取り戻すための「Webのルネサンス(復興)」の契機となり得る。
まだ多くの企業が、この事実に気づいていない。 だからこそ、いち早くこの構造的な変化を理解し、「集客」と「定義」を切り分けて考えられる経営者だけが、AI時代においても揺るがないブランドの実存を確立できるのである。
